これまで長い間考えてきた「信仰とは」。そして宗教の意味。巨大教団Sの内部の人間としての葛藤。何度か書きかけては、やめていましたが、ある程度考えがまとまってきたのでそろそろ書き始めようかと思い、ここに掲載していく運びとなりました。私がSの人間であることは別に意図的に隠していたわけではなく、いわずとも日常生活にはなんら支障をきたさなかっただけというのは・・・言い訳です。Sにいながらも疑いを捨てられずにいたというのが大きかったと思います。
生まれて物心のついたときからSにいたこと、中学〜高校時代のSに対する懐疑・「信仰」に対する不信、そして浪人してゆっくり考えたこと。これらを織り交ぜつつ、「信仰」の本質、現状、これからどうしたいのかなど、書きながら考えていきたいと思うわけです。
わざわざこんなところに書くに至ったのは、編集しやすいというものありますが(笑)、そもそも私が大半のS員と見解を異にしている(私の傲慢です)からであり、さらに私の見解が大半のS員、あるいは私の両親らには受け入れがたいものであろうと思ったからであります。
しかしながら、ここの読者の皆さんであれば、共感は得られずとも、何らかの理解は得られるという確信があったと同時に、私の見解が精神的なものを離れ論理的(科学的)であるという自信があったからというのも理由の一つであります。私の現段階の見解はそれゆえ、大いに(彼らの)信仰を揺るがし得るものであり、現に私自身が「信仰」をそれ自体として行えなくなっています。確かに幼い頃からの植え付けや人間の無力さによる、自然や宗教に対する畏怖は大きく残っていますが、盲目的に「信じる」ことは不可能な状態にあります。本編ではこのことについて存分に述べていきたいと思います。
また、教団としてのSの実態、個人レヴェルでのS、彼らの目的などを、内部の人間としてできるだけ客観的に捉えていきたいとも思っています。大まかな結論から言いますと、大変大勢の人間を抱える集団であり、かつ、構成員は所詮は人間なのですから諸問題を抱えているという現状を否定することは明らかに不可能です。ですが、Sを一歩引いてしかしながら身近で見てきた人間として言わせてもらうと、彼らの実態、特に個人個人の人格・人間性とややかけ離れたイメージが蔓延しているように思えます。やや誇張して例えるなら、悩みを抱えて神や仏に救いを祈り続ける人間に対して頭ごなしに「狂っている」というレッテルを貼り付けてしまっているような感じです。その辺に関してもここで述べていけたら、と思っています。
この文章の最終的な目的は、布教でもなければSや「信仰」に対する批判でもありません。筆者である私の置かれている状況や、「信仰」の本質的な部分を私自身がきっちりと理解することです。これまで考えてきたことが脳内で固定化されるとやや漠然としたカタマリとなって定着し、そこに至った細かい論理的プロセスを忘却してしまうので、その前に文章化して、自身の理解をより緻密なものにしようというのが本来の狙いです。ですが、私の考察を通して敬愛する読者の皆さんに少しでも私の人生の一部を理解してもらえたら幸いですし、非常に報われる思いでもあります。