風姿花伝を読む

世阿弥の『風姿花伝』という著作をご存じだろうか。能の秘伝の書として知られるが、教育論としてよくできているし、人生論としてもいい。じっくり少しずつ読んでいくのだ。

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December/2008
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凡例
 世阿弥の『風姿花伝』は教育論としてもいいし、人生論としてもいい。じっくり少しずつ読んでいこう。
 で、一文ずつ恣意的な現代訳を附して丹念に訳出することを試みた。典拠は岩波文庫版である。但し、ふつうに黒字の(かっこ)がついているのは、原文のまま。繰り返し文字の「く」の長いやつは、繰り返し字をそのまま書いた。例えば「やうやう」のように。また、文中、ふりがなに相当する部分については(あかいろ)でし示したが、ふりがなのついているものをすべて書いたわけではない。
 そして、恣意的な現代訳はみどりで書いている。
 で、時折感想めいたものを書こうと思うので、それは評論というカテゴリーをご覧あれ。
風姿花伝(著)世阿弥,野上 豊一郎,西尾 実
風姿花伝
出版社/メーカー:岩波書店
価格:¥ 483
ISBN/ASIN:4003300114
Rating:★★★★★
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  十七、八より
talon-omhmj4s4302(talon-omhmj4s4302)
  二十四、五
jonathon-t8dmi285(jonathon-t8dmi285)
  三十四、五
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  現代訳
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  十二、三より

年来稽古が終わった

2006-04-03
 ようやく、『風姿花伝』の「年来稽古」の現代訳が終わった。それぞれの「時分」の生き方を叙述しているものであるが、それは結構言いえて妙である。だからといって世阿弥の言が真実であるというわけではない。あくまで能役者世阿弥の役者論なのである。
 とは言え、読んでみると現代のわれわれの子育て、教育、生き方、老い方などと重ね合わせて見れば思わずニヤリとしてしまう部分がある。
 まずは初心という言葉の理解についてである。「初心忘るべからず」という言葉は本書から出たものとされているが、その意味は微妙に今私たちが使っている使い方とは違っている。

大学とはなにか―九州大学に学ぶ人々へ

Posted by yas007golgo13 at 12:30:06Comments(0)TrackBack(2)評論

五十有余

2006-04-03
 この比(ころ)よりは、大方、せぬならでは、手立(てだて)あるまじ。「麒麟も老いては駑馬に劣る」と申す事あり。さりながら、誠に得たらん能者ならば、物数はみなみな失せて、善悪見所(みどころ)は少(すくな)しとも、花は残るべし。
 この頃になったならば、だいたいにおいて、「しない」という以外の方法はない。「麒麟も老いては駑馬に劣る」という言葉がある。しかし、誠に芸を得た能役者であるならば、演じることのできる曲はなくなって、いいも悪いもみどころは少なくなっているが、花は残っているものだ。

 亡父にて候ひし者は、五十二と申しし五月十九日に死去せしが、その月の四日の日、駿河の国浅間(せんげん)の御前(おんまえ)にて法楽仕り、その日の申楽、殊に花やかにて、見物の上下、一同に褒美せしなり。
 亡父観阿弥は五十二歳の五月十九日になくなったのだが、その月の四日に亡父は駿河の浅間神社で能を奉納した。その日の申楽は殊更に花やかで、見物の人々はみな感銘を受けていた。

およそ、その比、物数をば早や初心に譲りて、やすき所を少な少なと色へてせしかども、花はいや増しに見えしなり。これ、誠に得たりし花なるが故に、能は枝葉も少く、老木(おいき)になるまで、花は散らで残りしなり。これ、目(ま)のあたり、老骨に残りし花の証拠なり。
およそ、そのときには演じる曲は若い役者に任せて、簡単な演目を少し少し彩りを加えて演じたが、花はますます輝いて見えた。これは誠に身に着けた花なのである。だから能の枝葉も少なくなって、老木となっても花は散らずに残ったということだ。これは私が目のあたりにした老骨に残った花の証拠と言っていい。

年来稽古以上




淡墨桜と風姿花伝―その美しき加齢
出版社/メーカー:EH春潮社
価格:¥ 1,260
ISBN/ASIN:4915096718
Rating:★★★★★
風姿花伝(著)世阿弥,野上 豊一郎,西尾 実
風姿花伝
出版社/メーカー:岩波書店
価格:¥ 483
ISBN/ASIN:4003300114
Rating:★★★★★

Posted by yas007golgo13 at 10:08:52Comments(0)TrackBack(0)読解

四十四、五

2006-04-02
 この比よりの能の手立、大方変るべし。たとひ、天下に許され、能に得法したりとも、それに附けても、よき脇の為手を持つべし。
 この頃よりの能のやり方はだいぶ変わってくるものだ。たとえ天下に認められ、能を極めたとはいっても、それでもたいせつなのはよい補佐的な役者を持つことだ。

能は下らねども、力なく、やうやう年闌(た)けゆけば、身の花も、失(う)するなり。先づ、優れたらん美男は知らず、よきほどの人も、直面(ひためん)の申楽は、年寄りては見られぬものなり。さるほどに、この一方(ひとむき)は欠けたり。
能の力量は落ちなくても、年を食えば身体的な花も、外見から見た花もなくなっていくものだ。先ず新谷のような優れた美男はともかくとして、そこそこのいい男であっても、スッピンでやる申楽は年をとっては見られたものではない。だからスッピンの申楽なんてやらないことになっているのだ。

 この比よりは、さのみに細かなる物まねをすまじきなり。大方、似合ひたる風体を、安々と、骨を折らで、脇の為手に花を持たせて、あひしらひのやうに、少な少なとすべし。
 この頃からは、あんまり細かい物まねの芸をしてはならない。だいたい得意な風体を気軽に苦心することなく、補佐の役者に花を持たせてお付き合い程度に少な目の芸をしなさい。

たとひ、脇の為手なからんに附けても、いよいよ、細かに身を砕く能をばすまじきなり。何としても、外目(よそめ)花なし。もし、この比まで失せざらん花こそ、誠の花にてはあるべけれ。
たとえ、補佐の役者がいなくても細かに身を動かすような技を使う能はしてはならない。とにかくよそから見て花はないのだから。もしこの頃になってもなくならない花があれば、それが誠の花なのだ。

 それは、五十近くまで失せざらん花を持ちたる為手ならば、四十以前に天下の名望を得つべし。たとひ、天下の許されを得たる為手なりとも、さやうの上手は、殊に我が身を知るべければ、なほなほ、脇の為手を嗜み、さのみに身を砕きて、難の見ゆべき能をばすまじきなり。かやうに我が身を知る心、得たる人の心なるべし。
 というのも、五十近くまで消えない花を持つ役者ならば、四十前に天下の名望を得ているはずだということだ。たとえ、天下に認められた役者であってもこのくらいの名人というものは自分というものをよく知っているので、ますます補佐役の役者を育てているものだし、だからやたらと身体を動かし、難点の出やすい能を自らすることはない。このように自分を知る者の心こそ名望を得た人の心なのだ。
Posted by yas007golgo13 at 14:04:41Comments(0)TrackBack(2)読解

三十四、五

2006-03-19
 この比の能、盛りの極めなり。ここにて、この条々を極め覚りて、堪能(かんのう)になれば、定めて、天下に許され、名望を得つべし。
 この年代の能はもっともいいときである。この時期にこの花伝に書いてあることをしっかり極めて身に着けて、境地にたどり着けばまちがいなく天下に知られる名望を得ることだろう。

もしこの時分に、天下の許されも不足に、名望も思ふほどもなくば、いかなる上手なりとも、未だ、誠の花を極めぬ為手(して)と知るべし。
もし、この頃に天下に認められず、名望も上がらないならばどんなに才能があろうとも誠の花を極めることのできない能役者なんだ、と覚えときな。

もし極めずば、四十より能は下るべし。それ後の証拠なるべし。
もしこの時期に極められないならば、四十歳からは能はだめになる。そのことが三十代に誠の花を極められなかった証というものだ。ああ、かっこ悪い。

さるほどに、上るは三十四五までの比、下るは四十以来なり。返す返す、この比、天下の許されを得ずば、能を極めたりと思ふべからず。
ということは力量があがるのは三十四五までであり、下がるのは四十からだ。何度も言うがこの時期に天下に認められなければ能を極めたとは言えないのだぜ。

 ここにて、なほ慎むべし。この比は過ぎし方をも覚え、また、行く先きの手立をも覚る時分なり。この比極めずば、この後、天下の許されを得ん事、返す返す難かるべし。
 ここでもまた慎むことだ。この頃は能のやり方をだいたいわかるようになり、また、将来の展望も見通せるようになる。この頃に極めなければこれから後も天下に認められることはほんとに何度も言うが難しいことなのだ。
Posted by yas007golgo13 at 10:32:21Comments(0)TrackBack(5)読解

二十四、五

2006-02-25
 この比、一期の芸能の定まる初めなり。さるほどに、稽古の堺なり。
 この頃が生涯の芸能が決まってくるはじめである。だから、稽古においても画期となる時期なのだ。

声も既に直り、体も定まる時分なり。されば、この道に二つの果報あり。声と身なりなり。これ二つは、この時分に定まるなり。年盛りに向ふ芸能の生ずる所なり。
声も大人の声になり、身体も大人のものになっている。ところで、この道には二つの天分と言うべきものがある。声と身形である。この二つはこの頃に決定的なものとなる。年盛りの年配にふさわしい芸能はこの頃に始まるものだ。

さるほどに、外目にも、すは上手出で来たりとて、人も目に立つるなり。
そういうことだから、外から見ても上手であると人は褒めそやすこともある。

(もと)、名人なれども、当座の花に珍らしくして、立合勝負にも一旦勝つ時は、人も思ひ上げ、主も上手と思ひ初むるなり。これ、返す返す、主のため仇なり。
相手が名人であっても、今時の若い者の花やかなのが珍しいということで、立ち会い勝負に勝つこともあるだろう。そういうときに人がおだてると、その気になって自分は上手だと思ってしまう。これは何度も言いたいのだが本人にとってマイナスでしかない。


これも誠の花には非ず。年の盛りと、見る人の、一旦の心の珍しき花なり。真の目利きは見分くべし。
こうやって勝ったときの花も誠の花ではない。若さが光っていたというだけであり、見る側にとって目新しいからというだけのことでしかない。ほんとうの目利きはすぐに見分けるものだ。

 この比の花こそ初心と申す比なるを、極めたるやうに主の思ひて、早や、申楽にそばみたる輪説をし、至りたる風体をする事、あさましき事なり。
 この頃の花やかさを「初心」という時期であって、あたかも頂点を極めたように自分は思い込み、たちまちにして申楽を知ったかぶりのモノを言い、上手の域に上り詰めたような恰好をすることがあるが、あさましいことである。

たとひ、人も讃め、名人などに勝つとも、これは、一旦珍しき花なりと思ひ覚りて、いよいよ、物まねをも直にし定め、なほ、得たらん人に事を細かに問ひて稽古をいや増しにすべし。
たとえ、他人にほめられたり、たまさか名人に勝つことがあったとしても、これはちょっとばかり目立っただけだとよくよく思い直し、益々物まねの芸に打ち込み、なお、未熟なところは人に聞き、稽古に益々励まなくてはならないのだ。

されば、時分の花を誠の花と知る心が、真実の花になほ遠ざかる心なり。
つまり、今だけの輝きをホンモノだと勘違いしてしまう気持ちが、真実の花から遠ざけてしまう考えなのだ。

ともかく、人ごとに、この時分の花を誠の花に迷ひて、やがて、花の失するをも知らず。初心と申すはこの比の事なり。
ただ、誰でもこの年代の華やかさには勘違いするもので、やがてその輝きも消えてしまうのだということを知らない。初心というのはこの頃のことを言うのである。

一、公案して思ふべし。我が位のほどをよくよく心得ぬれば、それほどの花は一期失せず。位より上の上手と思へば、本ありつる位の花も失するなり。よくよく心得べし。
一、深く考えてみようではないか。自分の力量というものをよくよく自覚しておけば、そのくらいの力量は生涯消えることはない。その力量を過信していれば、もともとの輝きはまもなく消えてしまうであろう。よおおおく、肝に銘じておくように。

風姿花伝(著)世阿弥,野上 豊一郎,西尾 実
風姿花伝
出版社/メーカー:岩波書店
価格:¥ 483
ISBN/ASIN:4003300114
Rating:★★★★★

Posted by yas007golgo13 at 00:47:13Comments(0)TrackBack(3)読解

現代訳

2006-02-18
 参考にせむと林 望『すらすら読める風姿花伝』というのを買った。上下に対訳となっているのはいいのだが、テキストとして使っているのが新潮日本古典集成の『世阿弥芸術論集』だという。で、岩波文庫版とはちがうところがある。バラパラ見たところでは、「花伝第七 別紙口伝」がだいぶちがっている。「返す返す初心忘るべからず」がない。

それと水野聡訳『風姿花伝』PHP版。こちらは底本が岩波文庫版なのでいいのだが、原文は載っていない。それと訳がもう少し噛み砕いてほしい感じがある。それらに負けない訳文を書いてみたい。



すらすら読める風姿花伝
出版社/メーカー:講談社
価格:¥ 1,680
ISBN/ASIN:4062117959
Rating:★★★★★

現代語訳 風姿花伝(著)世阿弥,水野 聡
現代語訳 風姿花伝
出版社/メーカー:PHPエディターズグループ
価格:¥ 998
ISBN/ASIN:4569641172
Rating:ZERO

Posted by yas007golgo13 at 12:33:17Comments(0)TrackBack(2)評論

十七、八より

2006-02-17
 この比(ころ)は、また、余りの大事にて、稽古多からず。
 十七,八歳位になると、余りに大きな変化が来るので稽古は多くはない。

先づ、声変りぬれば、第一の花失せたり。体も腰高になれば、かかり失せて、過ぎし比の、声も盛りに、花やかに、やすかりし時分の移りに、手だてはたと変りぬれば、気を失ふ。
まず声がおとなのものに変わるので、第一の花というべきものが消える。身体も成長して腰高になり、童形の頃の姿の美しさはなくなってしまうので、過ぎた昔のいい声で、花やかで、とてもよかった時代が去り、演じ方もがらっと変わってしまうから、やる気もなくなってしまうだろう。

結句、見物衆もをかしげなる気色見えぬれば、恥かしさと申し、かれこれ、ここにて退屈するなり。
ついには、観衆も変だという感じになってくると恥ずかしいとでもいうのか、あれやこれやで、この辺りで挫折してしまう。

 この比の稽古には、ただ、指を指して人に笑はるるとも、それをば顧みず、内にては、声の届かん調子にて、宵・暁の声を使ひ、心中には、願力を起して、一期の堺(さかひ)ここなりと、生涯にかけて能を捨てぬより外は、稽古あるべからず。ここにて捨つれば、そのまま能は止まるべし。
 この頃になると稽古もたとえ人に笑われようともひるむことなく、家に帰っても声に無理をせずに宵には宵の、暁には暁の声の出し方で稽古をし、心の中で願をかけて、一生の芸がどうなるかは今が分かれ目と気を引き締め、生涯能を捨てぬと決意する以外に道はない。ここで稽古を止めれば、能はおしまいだ。

 惣じて、調子は声によるといへども、黄鐘(わうしき)・盤渉(ばんしき)をもて用ふべし。調子にさのみかかれば、身なりに癖出で来るものなり。また、声も、年寄りて損ずる相なり。
 一般にどの高さまで声が出るかはその人の声の性質によるが、黄鐘・盤渉という高さの音でやればいい。あまり調子にーを気にすれば身なりに悪い癖が出る。それに、声も年寄りじみてしまうので損をするやり方である。


風姿花伝(著)世阿弥,野上 豊一郎,西尾 実
風姿花伝
出版社/メーカー:岩波書店
価格:¥ 483
ISBN/ASIN:4003300114
Rating:★★★★★

Posted by yas007golgo13 at 22:15:07Comments(0)TrackBack(2)読解

序について

2006-02-15
 世阿弥が『風姿花伝』で言いたかったのはこの序の最後にある二ヶ条だろう。ひとつは先代から言われた「好色・博奕・大酒」の三重戒だ。
 好色と大酒はどの時代でもこれは慎まなくてはいけない。しかし、この辺で…というところで止められないのが酒であるが(色もそうかもしれない)、害が自身に及ぶ前に自重できるかどうかが、大事なことだ。「今日は酒を控えよう」というふうに自重することを求めているのだ。
 そういうわけだが、僕は博奕は弱いので、これは外れると考えたが、そうではないと思う。この時代には、遊びとか趣味というものはそう多くはない。博奕というのは現在で言えば、遊び一般を指すものだといえよう。釣りだとか、カラオケだとか、野球見物だとかはこれに相当すると思う。つまりこちらも禁欲的にというのではなく、ほどほどに、ということが肝腎なのではないだろうか。
 世阿弥がどうしても言いたかったのは第二項だと思う。つまり、自身の研鑽は人一倍行え、但し、諍識、つまりいらん競争心はいかん、という点である。諍識とはビアスの『悪魔の辞典』にあるENVYの定義である“Emulation adapted to the meanest capacity.”ということと同じような意味だと思う。これは我が研究室のモットーとしてたまに院生諸君には伝えているのだが。


風姿花伝(著)世阿弥,野上 豊一郎,西尾 実
風姿花伝
出版社/メーカー:岩波書店
価格:¥ 483
ISBN/ASIN:4003300114
Rating:★★★★★

Posted by yas007golgo13 at 10:20:59Comments(0)TrackBack(0)評論

十二、三より

2006-02-13
 この年の比(ころ)よりは、早や、やうやう、声も調子にかかり、能も心づく比なれば、次第々々に、物数をも教ふべし。
 このくらいの年齢になったら早くもいろいろ声も調子にのってくるし、能についても理解ができてくるようになるので、少しずついくつかの曲を教えるのもいい。

先づ、童形なれば、何としたるも幽玄なり。声も立つ比なり。
まずまだ稚児姿なので、それだけで幽玄であるし、声もいい声が出る頃である。

二つの頼りあれば、わろき事は隠れ、よき事はいよいよ花めけり。
稚児姿の幽玄さと声の美しさがあれば、悪いところは見えなくなるし、いいところはますます華やいでくる。

 大方、児(ちご)の申楽に、さのみに細かなる物まねなどは、せさすべからず。
 ふつうは、このくらいの子どもの申楽にそれほど厳密な芸などはさせてはいけないものだ。

当座も似合わず、能も上がらぬ相なり。
見た目におかしいし、将来的に能は伸びないやり方だ。

ただし、堪能になりぬれば、何としたるもよかるべし。児と云ひ、声と云ひ、しかも上手ならば、何かはわろかるべき。
但し、非常に上達した者であれば、何をやったっていいだろう。稚児の美しさも、声のよさも、それが上手であるならば悪いことなどあるものか。

 さりながら、この花は、誠の花には非ず。ただ、時分の花なり。
 とは言え、この花は芸をきわめた上で開く誠の花ではない。ただ、この年頃にのみ現れ、年齢が過ぎれば消えていく花でしかない。

されば、この時分の稽古、すべてすべてやすきなり。さるほどに、一期の定めにはなるまじ。
だから、この時期の稽古はすべて楽にやるのがいい。そうしたところで、生涯の能の技芸はここでは決まらない。

この比の稽古、やすき所に花を当てて、態(わざ)を大事にすべし。
この頃の稽古はやりやすく得意なところを見せ場にして基本的な技術を大事にすべきだ。
働きをも確やかに、音曲をも、文字にさはさはと当り、舞をも、手を定めて、大事にして稽古すべし。
身の動かし方を確実にし、音曲は言葉がひとつひとつはっきり出るように謡わせ、舞はひとつひとつの型をしっかり守るように、基本を大切に稽古するべきだ。






現代語訳 風姿花伝(著)世阿弥,水野 聡
現代語訳 風姿花伝
出版社/メーカー:PHPエディターズグループ
価格:¥ 998
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Rating:ZERO

Posted by yas007golgo13 at 22:00:32Comments(0)TrackBack(1)読解

七歳

2006-02-13
  風姿花伝第一 年来稽古條々  上

   七歳
 一、この芸において、大方、七歳をもて初めとす。
 一、この芸ではだいたい七歳くらいから始めるのがふつうだ。

この比(ころ)の能の稽古、必ず、その者自然とし出だす事に、得たる風体(ふうてい)あるべし。
この頃の能の稽古は必ずその人の自然にし始めるところに身についた良さがあるというものだ。


舞・働きの間、音曲、もしくは怒れる事などにてもあれ、ふとし出さんかかりを、うちまかせて、心のままにさすべし。
舞や働きのあいだ、音曲や怒ることなんかでも、ふとしたことから出てくる風情に委ねて心のままにさせるのがいい。

余りにいたく諫むれば、童(わらんべ)は気を失いて、能ものぐさくなり立ちぬれば、やがて能は止まるなり。
あまりきびしく直そうとしたりすれば、子どもというのはやる気をなくして、能も意欲のないものになり、やがて止めてしまうだろう。

 ただ、音曲・働き・舞などならでは、せさすべからず。
 ひたすら、音曲・働き・舞といった基本だけをさせておかなくてはならない。

さのみの物まねは、たとひすべくとも、教ふまじきなり。
役を演じるような芸は、たといできるようであっても教えてはならない。

大場(おおには)などの脇の申楽には立つべからず。
晴れの舞台のようなところで脇の申楽(最初にやる能)をさせてはならない。

三番・四番の、時分のよからんずるに、得たらん風体をせさすべし。
三番目、四番めあたりの、タイミングのいいころにもっとも得意の芸をさせるべきだ。


風姿花伝(著)世阿弥,野上 豊一郎,西尾 実
風姿花伝
出版社/メーカー:岩波書店
価格:¥ 483
ISBN/ASIN:4003300114
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Posted by yas007golgo13 at 08:37:50Comments(0)TrackBack(2)読解
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