この比、一期の芸能の定まる初めなり。さるほどに、稽古の堺なり。
この頃が生涯の芸能が決まってくるはじめである。だから、稽古においても画期となる時期なのだ。
声も既に直り、体も定まる時分なり。されば、この道に二つの果報あり。声と身なりなり。これ二つは、この時分に定まるなり。年盛りに向ふ芸能の生ずる所なり。
声も大人の声になり、身体も大人のものになっている。ところで、この道には二つの天分と言うべきものがある。声と身形である。この二つはこの頃に決定的なものとなる。年盛りの年配にふさわしい芸能はこの頃に始まるものだ。
さるほどに、外目にも、すは上手出で来たりとて、人も目に立つるなり。
そういうことだから、外から見ても上手であると人は褒めそやすこともある。
本
(もと)、名人なれども、当座の花に珍らしくして、立合勝負にも一旦勝つ時は、人も思ひ上げ、主も上手と思ひ初むるなり。これ、返す返す、主のため仇なり。
相手が名人であっても、今時の若い者の花やかなのが珍しいということで、立ち会い勝負に勝つこともあるだろう。そういうときに人がおだてると、その気になって自分は上手だと思ってしまう。これは何度も言いたいのだが本人にとってマイナスでしかない。
これも誠の花には非ず。年の盛りと、見る人の、一旦の心の珍しき花なり。真の目利きは見分くべし。
こうやって勝ったときの花も誠の花ではない。若さが光っていたというだけであり、見る側にとって目新しいからというだけのことでしかない。ほんとうの目利きはすぐに見分けるものだ。
この比の花こそ初心と申す比なるを、極めたるやうに主の思ひて、早や、申楽にそばみたる輪説をし、至りたる風体をする事、あさましき事なり。
この頃の花やかさを「初心」という時期であって、あたかも頂点を極めたように自分は思い込み、たちまちにして申楽を知ったかぶりのモノを言い、上手の域に上り詰めたような恰好をすることがあるが、あさましいことである。
たとひ、人も讃め、名人などに勝つとも、これは、一旦珍しき花なりと思ひ覚りて、いよいよ、物まねをも直にし定め、なほ、得たらん人に事を細かに問ひて稽古をいや増しにすべし。
たとえ、他人にほめられたり、たまさか名人に勝つことがあったとしても、これはちょっとばかり目立っただけだとよくよく思い直し、益々物まねの芸に打ち込み、なお、未熟なところは人に聞き、稽古に益々励まなくてはならないのだ。
されば、時分の花を誠の花と知る心が、真実の花になほ遠ざかる心なり。
つまり、今だけの輝きをホンモノだと勘違いしてしまう気持ちが、真実の花から遠ざけてしまう考えなのだ。
ともかく、人ごとに、この時分の花を誠の花に迷ひて、やがて、花の失するをも知らず。初心と申すはこの比の事なり。
ただ、誰でもこの年代の華やかさには勘違いするもので、やがてその輝きも消えてしまうのだということを知らない。初心というのはこの頃のことを言うのである。
一、公案して思ふべし。我が位のほどをよくよく心得ぬれば、それほどの花は一期失せず。位より上の上手と思へば、本ありつる位の花も失するなり。よくよく心得べし。
一、深く考えてみようではないか。自分の力量というものをよくよく自覚しておけば、そのくらいの力量は生涯消えることはない。その力量を過信していれば、もともとの輝きはまもなく消えてしまうであろう。よおおおく、肝に銘じておくように。
出版社/メーカー:岩波書店
価格:¥ 483
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Posted by yas007golgo13 at
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